2014年6月11日水曜日

「かわいそう」

季節は冬がとっくに終わり、春も過ぎて梅雨に入って、ず~っと更新をサボっておりました。

いやぁ。。若干体調もゴニョゴニョ。。やる気もゴニョゴニョ。。


標題の通り、私も結構「かわいそう」なことになってた時期があって、それを通り過ぎて今に至る訳でありますが、自分自身ではもう「かわいそう」でもなくなったと思っている訳でありますが。

前にもどこかで。。旧ブログだったかもな。
このネタについて書いたことがあったんだけど、使い方を間違えると人には嫌な思いをさせてしまう言葉だな、と考えてます。



「かわいそう」って、めっちゃ他人事。
面と向かって言われてテンション上がる人も中にはいるかも知れないけど、自分が言われたら下がりっぱなしになる。

困ったことがあってさ、何とかしたい一心で必死になってる最中に、ただ「かわいそう」と言われるのは思っているよりも更に凹む。
そうあっさり言ってくれる人の言葉の中に、少なくとも私はこれだと思う言葉を見つけたことがない。
というより恐らく当人も言葉がないんだろう。
最後は自分で選んで決めることだけど、誰かの言葉が考え方の方向性を変えてくれることもある。
そういう考え方もあるのか~ってね。



使う場面を間違えると高い目線の言葉にもなる。
私は多分、そこに違和感を持っている。
わざわざ群馬弁で言ってみたりする。


感じ方の問題もあるけど。
自分が使う時は大抵、

ホントに他人事で済ませる時か
自分には何も出来ない時か
対象になる人に対して余程腹を立てている時か

の、どれか。
相手のことを考える時には不思議と思い浮かばない。




先般、とある知り合いの人の家にお邪魔した時のこと。

その人も親御さんを亡くされていて、私もそのお通夜に出席した。
親御さんのことも知っていただけに悲しかった。

その人の部屋には棚があって、一番上に花が供えてあって別の人の写真。
別の人は。。ご健在だそうで。

その下の棚に亡くなった親御さんの写真。
花はない。



?!



と思ったものの、聞く訳にもいかず。
聞いても悲しいばかりになりそうだったので、聞かなかった。



私も父を亡くしている。
毎朝水を替えてお線香を焚くのが日課になっている。
たまにサボる。
花は供えてない。


いやそれがエラくはない。
やりたいからやってるだけのことで。


人にはそれぞれ考え方や大事に思っているものが違う。
人はそれぞれだというのは百も承知。



ただ、私にはそれが悲しく映った。


どんな関係だったとしても、自分を生み育ててくれた親なのに。
それしか私には湧いてこなかった。



何の話だったか、その人が「かわいそう」で片付けた話があった。


その日は自分の解釈と心の狭さに多少沈んだ気分になった。
そんなに大変なことじゃない。
人はそれぞれなんだ。



「かわいそう」、どうも扱いが難しい。






=おまけ=


前に好きな芸能人の中にASKAさんを挙げていました。
ドラッグになんか手を出していないものと思っていましたが、見事に逮捕されました。
逮捕された辺りは殆どテレビを見ていなかったので、どんな顛末だったのかは後からネットで検索して知った訳ですが。。

覚醒剤だけじゃなくて、余計なことまで発覚しちゃったASKAさん。
ASKAさんの曲に励まされた時期だってあったのに。

なんだったんだ。
言うなら色んな意味で「かわいそう」なことになってるASKAさん。
それは駄目だよ。覚醒剤も不倫もね。


しばらく身の周りは荒れるでしょうが、それは自業自得。
巻き込まれてしまったご家族や周りの人達を、今後一層大事にして頂きたいと願います。




「人生は一箱のマッチに似てゐる。重大に扱ふのはばかばかしい。重大に扱はなければ危険である。」by 芥川龍之介





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