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2017年11月7日火曜日

第13回 文芸思潮 現代詩賞 最終結果

ブログを更新するには、更新できるだけのネタが必要なんです。
と、言い訳してみるMegです。
ご無沙汰しております。

とりあえず、標題です。

あ~( ノД`)シクシク…

またもや。。

パンパカパーン♪ (ちょっとヤケ)





今年もまた入選に終わりましたです。
いや。。入選させていただきましてありがとうございます<(_ _)>
もう少し。。もう少し上を目指して頑張っていたのですが、いやはや厳しい世界でございます。

思うようにはいかないもんだなぁ。

入選三作については、来年の春辺りを目標に電子書籍出版しようと思ってます。
もうちょっと頑張ってみるか。

お陰さまで、引き続きご購読頂いております。
ありがとうございます<(_ _)>










2017年2月19日日曜日

特筆すべきこともないんだけど。

どんなタイトルだ(^^;

退院してからこっち、なかなか体調が戻らなくて苦労してます。
体調が。。というよりも、入院して体力が落ちたことと、多分若干薬の副作用とで体がどこにあるのかよく分からない感じ。。というか。。めまいとか吐き気とか、色々起こっていました。

ようやく体が元に戻ってきた感じ。
歩くのも苦しかった一時に比べればかなり回復してきました。

一時は本当にどうなるのかと思ったけど、そもそも検査の結果は重篤な問題はなかった訳だし、大丈夫なはずなのです。。
入院するのって大変なんだな。

そんな訳でまだそ~っと生活してる感もありますが、何とか生きてます。

いや、そんな感じなので、どこにも行けないし、更新ネタも何もないもんだから、苦し紛れの更新とも言えるが。。

三作目の詩集は思っていたよりもご購読頂いているようで、心からお礼申し上げます<(_ _)>

一作目って、初めてだし結構購読数が多くなるんです。
でも二作目以降はだんだん難しくなってくるもんだな。。というのが率直な感想で。
幸い「文芸思潮」で入選させて頂いたのが功を奏しているのかも知れません。
今年もまたぼちぼち応募します。。










2017年1月22日日曜日

「詩集 毎日が同じ空の下」予約注文開始。

お陰さまで、三作目の出版となります。

「詩集 毎日が同じ空の下」。

誰もがみんな、それぞれに悩みを持って、苦しんだり悲しんだり、嬉しいことも楽しいことも、悲喜こもごもに暮らしています。

でも見上げてみると同じ空の下にいる。

それぞれのペースで、疲れたら休んで、頑張れるときに頑張ればいい。
頑張れなくても力まずにやったっていい。

色々な尺度で書いた詩篇なので、殆ど無理やり(笑)目次を付けてるけど、どこかに自分を重ねられる部分を感じ取ってもらえたら幸いです。

それから第12回「文芸思潮」現代詩賞の入選三作品も収録しました。
そういえば、賞状と記念品を送って頂きました。
わざわざありがとうございます。
授賞式には出席出来なかったのが残念でしたが、また今年も応募してまた授賞式に招かれるよう頑張ります。

配信日は2月3日(金)です。
一作目、二作目同様、皆様よろしくお願い致します<(_ _)>







いつもご購読ありがとうございます。







2016年12月30日金曜日

2016年の終わりにあたり

一年は早い。
ついこの前シルヴィ・ギエムのラストステージを見たと思ったら、あれはもう一年前の話となりました。

今年を一文字の漢字で表すと?というのをよく見かけます。
私の2016年は、何だろう?
「休」かな。
体を休めた一年だった気がするから。
何故だか眠くて仕方がなかったし。。腰も痛めたし。。

今までずっと良い状態ではありませんでした。
それでも今年、「文芸思潮」現代詩賞に入選したことで、もっと色々応募してみようと思ったり、在宅でフリーランスのライターとしての仕事も少し始めたり、やっぱり「書く」のが好きなんだな~と思いました。

それは今年に限ったことではないんだけど、必ずしも自分の書きたい事ばかりを書く訳じゃないライターの仕事でも、不思議と苦にならないんだな。
テーマを与えれられて、それに沿って自分の納得のいく文章を書く。
そこに自分なりの表現方法を加味して書いていく作業が好きなんだと思います。
その文章がクライアントにお金を出してもいいと思ってもらえるのは、嬉しいことです。
ビジネス的にも、その価値があるという評価をもらっていることになるから。

全てに言えることは、誰が読んでも分かりやすく書くこと。
書くのが詩篇であろうが、文章であろうが、必ず意識していることです。
相手に伝わらなかったら、書く意味がない。
このブログも同じです。

ある人と話した時のこと。
その人はとにかく何も考えずにある作業をするのが、その人にとっては大切な時間だと言っていました。
私はすごいなと思ったんだけど、その作業は技術があれば確かに単純作業ではあるんです。
頭も心も空にして、写経をするように無になれる時間だと言っていました。

私には無理。
無になれない。
いつも何かを考えているからなのか、私の頭の中は騒がし過ぎる。
だから書く。

落ち着く為に、心をリセットする為に、ストレス解消に瞑想するといいと色々なサイトに書かれていて、私もやってみようと試みたことがあります。
でも無理。
どれだけ続けても、どうしても常に何かを考えている。
頭を休ませるには体を動かすか、書き出すしかないらしい。
ここしばらくバレエのレッスンにも行けてないしな。。

来年はバレエにも復帰したいと思います。
この腰にもう少し自信が持てるようになったら。。
詩篇も文章も書き続けるし、詩集もこれまで通りコンスタントに出版し続けます。

たとえ「なんちゃって」であっても作家である意識を持ちながら、追及していってみようと思っています。

思いがけず、私の2016年はその足掛かりになる、自分を奮い立たせるきっかけになる年でもありました。

皆さんの一年は如何でしたか?
良い一年、そうではない一年もあるかも知れませんが、良い事も悪い事も背中合わせにやってくるものだと思っています。
腐らずに目の前に在る事の一つ一つをクリアにしていく感覚があれば、世界は広がると思っています。

今年一年もこのブログに遊びに来てくださってありがとうございました。
来る年も変わらず更新していきますので、よろしくお願い致します。

では良いお年をお迎えくださいませ。





いつもご購読ありがとうございます。






2016年10月16日日曜日

ドナルド・キーン氏の講演会

朝晩の気温差が辛い昨今、風邪が流行ってますな。
皆さん気を付けましょう。

ドナルド・キーン氏はアメリカの日本文学、日本文化の研究家で、本当に数多くの日本の文学作品を翻訳して海外に紹介された方です。
東北の震災の後、日本に帰化されたそうで、日本名は通称で「鬼怒鳴門」。
雅号だそうなのですが、すごい漢字を当てたなぁ。。ともちょっと思う。

で、そのキーン氏が土屋文明記念文学館で講演会をされるということで、高校時代の恩師からお誘い頂いて行ってきました。

プロフィールを見ると、物凄い経歴です。
コロンビア大学院→ケンブリッジ大学→からの、京都大学大学院への留学を経て、コロンビア大学で日本文学を教え、その後名誉教授になり、最後の講義は「能」について、そして日本に永住。
能だけでなく、歌舞伎にも造詣が深く、お話を聴いている限りでは恐らく仏教にも通じておられるようで。。
あっちこっちで博士号を取得されており、受賞歴もハンパない。
数え上げたらきりがない。

実際に会っている作家も数知れず、しかも錚々たるメンバー。
川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫、安部公房、司馬遼太郎。。他多数。
御年94歳。その年譜の長さもハンパない。
普通、人はそんなにしょっちゅう大きな出来事がある訳じゃないと思うけど、この方の人生は凄いです。

そんな中で、会っている作家の中でご存命中なのは大江健三郎氏だけだそうです。
長の歳月を生きてきて、会った人達が自分より先に旅立っていくのを見るのはどんな気持ちだろうと、そっちを考えてしまいますが、これだけ中身の濃い人生を存分に楽しんでおられるように見えました。

そんなキーン氏ですが、元々コロンビア大学で最初に日本文学を師事したのは、角田柳作氏という群馬出身の先生でした。

お年もありますが、集中していないと聞き取るのが若干難しい日本語(もう英語で話してもらっても。。と思ってたら、最後の方は英語になってました。英語の方が分かりやすかったかも。。)でしたが、角田氏との出会いや戦時中のお話、日本文学の作家達のお話、とにかく濃い。
経歴だけ見れば輝かしい限りだけど、壮絶なものも見てきているんだなぁ。。と。

しかし。。こんなに人気のある94歳もなかなか居ない。
講演会後のサイン会では長蛇の列、休憩時にも純文学ファンにもみくちゃにされかねない状態でした。

貴重な方に会わせて頂きました。
輝かしい経歴は何もないけど、私も頑張ろう。。


いつもご購読ありがとうございます。





2016年7月3日日曜日

電子書籍出版発表会

電子書籍出版発表会を開催しました。
梅雨時の蒸し暑い中、たくさんの方にお越し頂きありがとうございました。
決め事やら作業やら準備やら大変な事もありましたが、何とか盛況の内に終わりました。

今日はしっかり死んでいたのは言うまでもありません。

一人5分くらいスピーチしなくちゃいけなくて、でも私はその前にチラシ作成とか七福神毎の言葉を考えて色紙に切り貼りしたり。。とかやってたら、スピーチで何を喋るか全然考えてなくて。。ってか、すっかり忘れてました。
仕方がないので、当日適当に何とか四苦八苦しながら話しました。

とある地方紙の記者の方が取材に見えていたので、近日中に新聞に載っちゃうみたいです。
写真も撮ってたけど。。

さすがに「顔にモザイク入れてください」って訳にはいかないっぽかったので、モザイクなしで写真が載ってしまう。。

言えば良かったかなぁと、今更反省です。。
新聞に載るのは、正直、嫌だなぁ。。


と言っても後の祭りなので、切り替えて発表会の模様。
(自分が嫌なのに勝手に顔出しするのもなんなので、お顔が分かってしまいそうな方は全てモザイク入れます)


展示していた七福神グッズと七夕の笹。

何故七福神なのかというと、今回一緒に出版した方の中にイラストレーターの方がいて、その方の作品です。
とっても身近に感じられる七柱の神様方で、優しい絵、色彩です。

色紙が並んでますが、七福神毎に言葉を考えて、印刷して色紙に切り貼りしたものです。
筆書き出来たら最高ですが、私は言葉は考えられても筆書きはへったくそなのです。
言葉の色紙には、イラストレーターの方が当日その場でイラストを書き足してくださって、ご来場頂いた皆さんの中から、ジャンケンでそれぞれプレゼントしました。

そして間もなく七夕なので、笹(プラスチックのやつだけど)に短冊を用意して、皆さんに願い事を書いて頂きました。
願いはきっと叶います。

で、七夕繋がり(?)で、私達著者は浴衣で出席しようということになりました。
日頃は着物ばかりだからか、お祭りでもないのに浴衣を着るのは、実はちょっと恥ずかしかった。。






電子書籍の出版にご興味をお持ちの方が多かったです。
またお目に掛かれる方もいらっしゃいそうです。


改めて、発売になりました。
300円。
今回も有り難いことに健闘しております。

前回とは違う世界観を意識してみました。
自分の中では満足の出来になってます。
良かったら、ご購入よろしくお願いします<(_ _)>








2016年4月2日土曜日

Making of 電子書籍 「デュスノミアの斧」

桜の花がほころぶ季節、処女作として電子書籍を出版してから、三ヶ月が経ちました。

最初はどうなるだろうと非常に不安もありましたが、友人知人含め、思っていたよりもたくさんの方々の目に触れることになり、大変有り難い限りです。

何とな~く知らない内にと言うか、ちょいちょいご購入頂いているようです。
ありがとうございます。

出版から少し時間が経っているのですが、この書籍がどんな経緯で出版に至ったのかについて書いてみようと思います。


読んで頂いた方には何となく伝わっているかも知れませんが、この書籍に収録している詩編は、私の人生では一番底辺にいた頃に書いたものに加筆修正したり、新たに書いた作品です。

自分でも読み返すと思い出される様々な思いがあります。

それは過去であって、その過去が今の私を作っている。

準備を整え努力もしたけど、あの時に一番強かったのは本気で願っていたこと。
今流行っている「引き寄せの法則」があるとするなら、私はそれを体験したんだろうと思っています。

実際に願った通りに叶ったから。

自分が勝手に囚われていた「上辺ばかりの幸せ」というか、「周囲から幸せに見えているだけ」の状態から抜け出した時の解放感は、もう。。!

事前に愚痴交じりに話していた一部の友達以外の周囲からは、「あんなに仲が良かったのに、どうして?!」という反応ばかりの離婚劇でした。

自分の心の外側を取り繕うことなんてたかが知れている。

でも、自分の本当に望むことを、自分の芯に時間をかけて問うた時、どの時間に何度、どんな角度から考えても、離婚以外に気持ちが傾かなかった。

詩集「デュスノミアの斧」は、そんな頃に書いていたものが殆どです。
ギリシャ神話に登場する不法の女神「デュスノミア」は、あの当時の私自身を投影しています。

あの頃の私は、不法(合法ではありますが、結構酷い手段を使っても離婚したかった)の女神よろしく、自分のその時の婚姻に斧を振りかざして粉々に壊しました。
今から思うと、その時の自分がそんな暗い破壊することしか考えていないイメージだったので、その通りのタイトルにしました。


当時、一度は将来を誓い合っても、人間ですから間違いもあって、それが自分の為にならないと本当に感じられるなら、その間違いを正せばいいと感じるようになりました。

仮に私に子供を授かっていたとしても、同じ選択をしていただろうと思えます。


宇宙はどこまで広がっているか、今も膨張している説、宇宙に果てはない説、諸説ありますが、そこから見たら、この地球上の生きとし生ける者の付いた離れたなんて大したことではないような気がしました。

動物は面倒な手続きがないから、好きなようにくっついたり離れたりしている。
人間は一度正式に婚姻すれば、正式に書面で離婚しなければ離れられない。
でもそれは、人間が作り出したものであって、お互いもしくは片方が共に暮らす為の障害になっているなら、それは致し方ない、と思うのです。


ただ、離婚を推奨しているのとは違います。
いずれを選ぶにしても、自分の人生だから、自分でしっかり責任を持って選んで、後悔しないこと。


まぁ。。前から散々記事に書いてるけど、離婚するのは楽じゃないからね。
結婚する前よりも、結婚した後の毎日が楽しくないなら、その結婚に意味はないと、人生の大先輩が仰っていました。
だから、離婚の苦労でさえも厭わないとまで思えるなら、その結婚は確かに間違っていて、離婚することで拓ける人生もあるのかも知れないと、私は思います。


友人知人が、これからも出版するであろう私の詩集を読んでくれるのは、とても有り難いことだと思っています。
でも、もう一つ、こうして何かの検索にヒットしてこのブログに辿り着いた見知らぬ人が、この詩集を読んだ時に、どの詩編にか、ご自身の幸せの為の何かに気付いてもらえたら、それが一番私にとっては嬉しく幸せなことです。

結婚、離婚だけではなくて、仕事や人間関係に悩んだ方からも、共感したというお声を頂きました。
本当に有り難く、心から感謝致します。






今後とも宜しくお願い致します。


2015年12月28日月曜日

正月飾りは盛り気味で。

本日歳末大掃除を完了しました。Megです。

随分早いなぁと思われるでしょうが、25日に仕事納め、26日は年賀状買うところから始まり~のでその日の内に作成、印刷、全部に一言ずつ書いて、投函まで完了。
それでも元旦には間に合わないけどね。。

昨日は新しいガラケーが届いて、UIMカードをハサミでチョキチョキ。。
あれって端末だけ買って、傷つけないように大きさを合わせて切れば全然そのまま使えちゃうのよ。
最悪オーナー認証しなかったら、ショップへ行って2,000円だか3,000円で手続きしてもらえるしね。

特に問題なく完了。

電話帳登録を移すのに、やっぱりショップへ行こうか考えたけど、いい加減増えすぎて古すぎて、果たしてこの電話番号とメアドが今も有効なのか。。というのを整理する意味でもセコセコ手入力してみました。

。。そんで一日終わりましたが、何か?
Viva ガラケー。



んで、どうして今日大掃除なのかというと、暇だから正月飾りを29日に出すのはよろしくないというのを小耳に挟んだからであります。

「苦に通じる」らしい。。年末の休みの関係で29日とか30日とか、下手すりゃ大晦日までギリギリやってるご家庭もあるとは思うんだけど。。

最近「苦」ばっかりだから、少しでもその気はなくそうという涙ぐましい努力なのでございます。
まぁ、暇だからなんだけど。。

で、大掃除ついでに整理してたら色んなもんが出てきました。
毎年結構整理してるつもりなんだけど、何となくスルーしてたのかもな。

出てきたものを盛れるだけ盛って、新旧比較。




これ去年。



これ今年。ってか、さっき。


獅子舞まで出てきやがってさぁ。
来年は盛大に。。何やるかな。


そうそう。
今年は作家デビューを果たしましたが、お陰様で小説文芸部門で17位までいきました。
16位が村上春樹先生ですよ。
最大瞬間風速とはいえ、自分でもまさかの大健闘です。







そして、内容についても思いの外、かなりの佳い評価を頂きました。
というか、ノーリアクションが基本だろうと思っていたので。。
来年も多分3月~4月くらいには、二作目を出版する予定です。

その際はまたお知らせしますので、良かったら読んでやってくださいませ<(_ _)>



2014年12月27日土曜日

恋愛観

目下のところ、そびえ立つ程に大きな課題となっているような気がする標題であります。


さしたる目立った特徴もなく、ホメラレモセズ、クニモサレズ。
それでも世の中には男と女しか存在しないのであります。
独りで生きていくなんて、大きなことは言えない。
そう言い切れる程の自信がない。


今年の締めの前に、ちょっと触ってみたくなったこのテーマ。



今年の前半は、私もまだ恋愛らしきものをしていました。

らしきもの。
私にとっては、という意味でしかなかった。
相手にとっては全く別の物だった。


相手にとって、私はネギ背負ったカモだった。
そこまで考えたくはなかった。
でも最後に見た彼の姿は、勧誘に失敗した人のそれだった。

人の気持ちを利用したという認識はないんだろう。
悪気が無かったら何をしても良い訳ではないことや、それが相手にどれだけの影を落とすのかについては、自分達の目先の欲が先に立って、まるで気が付く様子はないようだったから、多分この先も同じことを繰り返していくんだろう。

それで自分の願望が叶って幸せになれると謳いながら。



あれから数ヶ月経った今になって、それまでの人生からしたら全然大した事のないその出来事が地味に効いているような気がした。

信頼出来ないんだよね。
誰のことも。
皆がそんな人に思えてしまう。
どうしても疑ってしまう。


そんな状況でどうにかなることもなく。
単に入り口付近で戸惑ったり躊躇ったりしている内に、気付けば扉は閉まっていた。
叩いてみたけど、開かなかった。
そもそも開いていたのかどうかも怪しいところではあるけれど。


確認してたんだよ。
もう若い頃のようにとりあえず付き合ってみる訳にはいかない。
自分だけじゃない、相手があることだから。

もし、自分に誰か他の出会いがあって揺れ動く程度のものだったら、それじゃいけない。
それなりに先のことも考えなきゃいけない年齢にも来ているし。
だから、それを確認してたんだよ。

そういう嫌な思いや辛い思いなら、たらふく知っている。
それを人にさせたいと思う程には、私もまだ人間が腐ってはいない。



随分前に、何かの記事で書いたことがあるかも知れないけど。

アンデルセンの有名な童話「人魚姫」。


どこぞのネズミーがハッピーエンドにしちゃったアレです。



アンデルセンはあの童話を通して失恋を描きました。
美人か不美人かだとか、その為人には関わりなく、失恋する時はするもの。
それを描いた話が「人魚姫」だと言われています。
人魚姫は可愛くて性格もいいという設定になっている。


嵐の夜に海で助けたある男性を好きになり、声と引き換えに足を手に入れて陸へ上がり、その男性を見つけてその恋を成就させようと頑張ります。
でもその男性は王子であって既に相手がいて、人魚姫は王子を殺すことでしか自分を救う道がなくなります。
王子を殺せない人魚姫は海の泡となり、人間のように天へ召されることもない。


そういうことだってある、というのがアンデルセンの表現したかったことであり、実在している現象でもある。

どんなに一途に献身的に相手を思って身を削ったとしても、それは自分がやりたかったこと。
人魚姫が王子を殺していたら、それは見返りを求めた打算になってしまう。
殺せていたら苦しむこともなく、海の泡になることもなかったろうけど。

人魚姫はただやりたいことをやりたいようにやった。
だから後悔することもなく自ら海へ身を投じた、というアンデルセンの言いたいことはここなんだと思っています。


そうでなきゃ、恋愛なんて何が楽しい。
うまくいけばそりゃ嬉しいだろうけど、うまくいこうがいかなかろうが、持ち合わせる全ての感情を引っ張り出されて苦しむように出来ている。
そうしてまた人間の脳は進化していく。


人の脳には忘却という機能が備わっていて、それが精神衛生を保っているんです。
起こった出来事がずっと「ついさっき起こった」ことのように感じていたら、人は精神を保てない。
仮にすぐ近くにいたとしても、大丈夫。
時間が経てばちゃんと忘れるから。


まだ微妙な距離だけど、そう遠くなく別件の事情で顔を合わせることすらなくなる。
気付けば思い出すことさえ、なくなるだろうか。



これも前に書いてると思うけど、人魚姫にはあまり知られていないラストがあります。
上述のあらすじは誰もが知ってる有名処。
その後があるんです。


身を削り、ただ一途に王子の元へ走って命を落とすことになった人魚姫を、神様は不憫に思い、まだ未熟な人間の魂が修行して年限が明ければ天へ召されるそこへ参加するよう計らいました。
300年間、子供達を見守り続けるというその修行の年限は、いい子を見つければ1年間短縮され、悪い子を見つければ1日延長というものでした。

そこに参加するまでが、童話「人魚姫」です。
いい子にしてないと、人魚姫は天国へ行けないんだよ、という、そこは童話なので。


失恋しても、別の形で再び機会は与えられるんです。
辛くても切ながっても、ずっとその中に居続けたらいけない。

その中にいるのはちょっとだけ気分がいいかも知れないけど、浸り続けていたら次の出会いがあっても気付かずに通り過ぎてしまうかも知れない。


だから、私は友達にも言います。
ずっとその中にいるな、と。






2013年5月31日金曜日

宮部みゆき著 「桜ほうさら」の感想。

先週末。
体調悪くて一人で大騒ぎして、翌日病院に行って検査してきました。

その検査って、人によっては大したコトないらしいんだけど、私にとっては大したコトある。



もうね、くぁwせdrftgyふじこlpってなりました。




激痛っていうか、何とも言えないすんごい苦痛。

あまりの苦しさに声も出ない。



その検査のダメージが大き過ぎて、その後翌日まで苦しんでたMegでした。。
先生ごめんなさい。



検査の結果はまだ分かんない。
明日聞きに行って来ます。
ちょっと怖い気もするが。。


まぁいいや。




「桜ほうさら」もう読み終わってました。
感想というか、思ったコトを書きます。
毎度ながら、ネタバレなしです。


「桜ほうさら」ってどういう意味だろうと思ってたら、甲州の方言で「ささらほうさら」という言葉があるらしい。
意味は、「色々あって大変だ」なんだって。
意味はともかく、響きがきれいだなぁって思ってた。
「桜ほうさら」ってコトは、色々あって大変てコトと、桜がたくさんある中で始まる話ってコトを掛けてるんだろうなって思いました。


物語は、浪人笙之介を主人公に宮部先生得意の江戸は深川、富勘長屋を舞台に進んでいきます。
汚名を着せられ切腹した父の、その汚名を雪ぎたいという願いを持って江戸で暮らし始めるところから始まります。

ミステリー色を持ちつつ、人情話って感じかな。
幾つかの別筋の話を織り交ぜながら最後に繋がっていきます。



読んでて強く感じたのは、文字は大事に丁寧に書くようにしよう、と。
日本語って、口頭や読み書きだけじゃなくて、文字そのものが芸術になる。
茶道でお掛け物なんて、画像載せてるでしょ。




脱線するけど昔から高貴な人達は「花押」というのを持っていました。
武将の皆さんとかね。


いや、今でも茶道の家元とか、多分天皇家の人達も持ってるんじゃないかな。
歴代内閣総理大臣(彼らが高貴かどうかは別にして)も持ってます。
エライお坊さんとかも持ってるかも。



こんなヤツ。
私も持ってる茶扇子。
表千家歴代家元の花押です。





茶道の世界では、お道具の箱書きに家元の花押があるだけで価値が上がる。

海外で言うサインみたいなものだけど、真似出来ないようにどこからどう書くのか分からないようになってます。


何よりも、サインじゃものの価値は上がらない。



一般庶民の私達は、通常は印鑑でしょ。
それだって本人確認にしかならないし、もっと正式に本人確認が必要な場合(土地屋敷購入なんかで借金する場合とか)は実印登録して印鑑証明を提出しろとかあるけど、印鑑証明出したところで何かの価値が上がりはしない。
借金の金利とか上がったら最悪だよねぇ。
単なる本人確認。



まぁそれは脱線なんだけど、花押の話じゃなくて、物語の中心になってくるのは文字の「手跡」。
要するに筆跡です。


文字は書く人の為人を映す、らしい。

私で言えば、私の書く文字は、文字だけを見るなら男性の字か女性の字か一見しては分からないって言われたコトがあります。
為人を映しちゃったら、あんまり嬉しくない表現ではある。



書道は習ったコトない。算盤塾派だったもんで。
もし新たに習い事を始めるなら書道やりたいなぁとは思ってるけど。。

一応。。ペン検二級は受かったから、ミミズがのたくっては。。いないと。。思う。たぶん。
数少ない自慢をするなら、漢字検定準一級。(∀`*)ゞイヤァ 
その他なんの役に立つのかよく分からない資格や級なら色々ある。けど、履歴書に書いても「ふうん」で済まされる_| ̄|○ il||li


けど、もう少し自分の文字にも責任を持って書いてみようと思いました。
元々手書きは好きな方だし。




物語の後半、とっても悪い意味で「ジョーカー」的な人物が登場します。
立派な手跡。
でも性格は最悪。
なんだけど、何となく理解出来てしまうその人物のバックグラウンド。
余程の事があって性格が歪んだんだな。。それまではきっと、もっと向上心や前向きな気持ちのある人物だったんだろうなぁ。。と、憎み切れない悪役とでも言うか。
でもインパクトは相当強い。




なんとなく切ない気分にもなるけど、そこは人情話。
それなりに救われる(でも現実的)ラストが用意されてます。
何でもかんでも完ぺきご都合主義的なハッピーエンド話は漫画の世界の領分だと思ってるので、それが本当に救われてるのかどうかは読む人の視点に因ると思います。
ハッピーエンドも読みたい時あるけどね。



確かに今までの時代小説とはちょっと違った切り口だなぁとも感じました。
帯に「新境地」って書いてあったし。



あらすじも何も書かないけど、興味があったら一読をおススメします。
面白かったよ。





2013年4月21日日曜日

宮部みゆき 「桜ほうさら」

数日前、夏日にまでなった日からどうしたもんか。
冬が戻ってきたようなこの寒さはいったい。。。


実家の弟が予定していたツール・ド・草津は雪の為、開催中止だそうです。
弟は5月に控えている榛名山ヒルクライムに目先を切り替えるって。
この寒さに、雪まで降ったら危ないし、ひたすら過酷なだけだもんねぇ。




昨日は本屋さんに行って来ました。
いつものブックマンズアカデミー。


ちょっと前に宮部みゆき先生の新しい本が発売になっていたのでした。




「ほうさら」ってなんだろう?
読んでみれば内容に出てくるのかな。


まだ読み始めてません。
本は寝る時に読むコトにしていて、今読んでる別の本を読み終えてから。

寝る時に本を読むのは一つの楽しみにしています。
ベッドに入っても眠くなるまで好きなコトをするって思うと、こんな休日にも早めに休む気になります。


宮部みゆき先生の本は、まだ買ってない「ソロモンの偽証」以外は殆ど読みましたが、それでも好きなのは時代モノです。

江戸時代の人情モノは、ストン。って落ちるように納得出来ちゃうというか、潤される気がするというか。
期待いっぱい。



そう言えば、前に買った本の感想とか、書いてないけど。。
読書感想文て、学校なんかでネタバレ気にせず書く分にはバシバシ書けるんだけど、ネタバレしたら面白くないって思う方なのでどうも書きにくい。

前に記事に書いた「ばんば憑き」も「あんじゅう」もショートショートで構成されてるし。。
あ、でもタイトルにもなってる「あんじゅう」は切ないけど優しい話。
人を恋いながら、人と一緒に過ごせない、可愛い物の怪の話です。
こういうの読むと、巧いよなぁ。。と思ってしまう。





本屋さんでいつものようにカフェでお茶して、お腹が空いてきた帰り道。
でも時間がまだ微妙に早い。

私にはとっても珍しく、イオンなんて立ち寄ってみました。
いやぁ。。混んでた(-_-;)
いつも駐車場に苦労するから日頃は滅多に近寄りもしないところですが、店内も人が多過ぎて酔いそうで、そそくさと買うものだけ買って出てきました。
なんでこんなに混んでるんだ。。と思ったら、消費税分値引きの日だった。

渋滞にハマりながら入って出て来たので、ソコソコ勝手に時間が潰れて、ご飯でも食べに行くコトにして。。




なんだかゴタゴタガヤガヤしてたから、静かに食事出来るお店がいいな。

運転しながら色々考えて向かったのは、「トラットリア ステッラ カンパーニャ」。
友達とも時々行くお店だけど、小ぢんまりした居心地のいい空間なので、フラっと一人で行くには丁度いい。


イタリア産生ハムのサラダ。
ドレッシングと生ハムの塩気がなんだか嬉しい。


んーと。。
マグロと黒オリーブとケッパーの
ラグーソース。
何とかいうショートパスタです。
見たけど忘れちゃった。 



画像を撮ったら、携帯はバッグに仕舞ったまま。
何をするでもなく、料理が出来るのを待ちながら、外を眺めてボーっとしたり、時々お店の人と言葉を交わしたり。



外は雨が降り始めました。
食事はどれも美味しかった。





時間を潰してもお店には少し早めに入ったので、別の予約のお客さんが入ったのを潮に帰りました。



たまにはこんな時間もいいよね。





2012年12月29日土曜日

だからトラックの後ろはイヤなのよ。。

怪我する前に大掃除は済ませてたので、年末でも特に何もするコトがなく非常に暇です。
なので、更新します。

諸事情ありまして捻挫した時の記事は取り下げさせて頂きました。
でもコメント頂いているので削除はしてません。
固定もまだ取れてません。


大掃除した時に、まだなんか足らん。。あ、2013年のカレンダーを買ってこなきゃなぁ。。ま、後でいいか。。。の内に怪我して、行くのがどんどんめんどく大変になっていましたが、さっきやっと行って来ました。

足は、一週間経ってちょっと腫れは引いてきたけど、まだ内出血が酷い。
整形外科の先生からは、「内外の踝の周りにある靭帯を痛めてるからね~。押して痛みがなくなるまでは固定を外せないんでよろしく。」と言われてます。
左足をこたつの外に投げ出してるともれなく寒くて我慢出来ず、かと言って温まると痛み出すのをどうしてくれようかと考えた挙句、こたつで温まって来たら足を投げ出し、寒くなったらこたつに投入という落としどころを見つけました。
こんなのがいつまで続くんだ。



カレンダーを買いに行くミッションもあるけど、とにかくどうせ暇なので、本屋に行って来ました。
前橋のブックマンズアカデミー。

本とカレンダーとついでに手帳も物色してウロウロした後、店内に併設されてるカフェで地元誌ライフを眺めてカプチーノをすすってボーっと。。温泉行きたいなぁ。。。ビローンo<´・ω・`>o

本はこれ買った。↓

また宮部みゆきの時代小説です。
「ソロモンの偽証」って新刊が出てたけど、三部作だし。。ハードカバーだし。。文庫が出たら大人買いします。
年末年始は読書か溜まってる録画を観るかして過ごします。
テレビは観るものなさそうだし、映画とか気になる番組は録画して後で観るし。。
ん??
今年(つーか、来年?)は忠臣蔵じゃなくて白虎隊なのか。
忠臣蔵が良かったなぁ。。まぁ。。観るけど。
今でこそ海外でも「武士道」に興味を持つ人結構多いでしょ。
その「武士道」がどんなもんか一番分かり易いのが忠臣蔵だと思うんだよね。
四十七士の皆さん、本当はもしかしたら討ち入る必要なかったかも知れないんだよ。
松の廊下での殿中抜刀の原因は諸説(浅野内匠頭が吉良上野介に対しての付届けをケチったから意地悪されたとか、浅野が乱心してたらしいとか他にも色々)あるけど、どうして討ち入らなきゃいけなくなったかというと、桂昌院や柳沢吉保に踊らされてた綱吉がロクに調べもせずに、怒りに任せて浅野にだけ即日切腹、しかも預け先の田村邸の座敷内じゃなくて庭先で切腹させちゃったからなんです。
(たとえ外様でも大名の切腹は座敷内で行われるものであり、庭先でというのはもっと位の低い武士の場合だった為。田村邸では出来るだけ庭先に見えないように囲いを立ててみたり、かなり気を遣ったらしいけど。)

殿中抜刀はそれだけで大罪と言われてた時代ですから、いずれにしても切腹や改易(家禄召し上げとか御家御取り潰しとか)は免れなかったかも知れませんが、せめて喧嘩両成敗、或いは浅野が乱心していたという事になれば。。それに浅野が吉良を討ち果たしていれば、赤穂藩の家臣達は吉良に対する主君の、そもそもあったかどうか分からない遺恨を晴らす為の討ち入りなんて考える必要はなかったんです。
幕府も「討つならどうぞ」と言わんばかりに吉良邸を本所に屋敷替えさせちゃったから、討ち入り易くもなったようですが。。

レミゼのOne day moreって、討ち入り前日にもそんな感じかと思ったけど、考えてみるとレミゼの革命派の学生達は戦って(勝ち目はともかく)勝てば自由、負ければ死。
でも赤穂の四十七士は勝っても負けても死しか待ってない。
「武士道」ってそういうものなんだよね。。


と、暇に任せてノリノリで激しく脱線しましたが(楽しかった♪)、なんだっけ?


ああ、本屋の帰り道、私の車の前にトラックが立ちはだかりました。
トラックの真後ろに付いちゃうと、前方の情報がな~んにも入って来ない。
小さい交差点を右折しようと待ってたら、歩行者用の信号が赤になったのが見えたので、これは前のトラックが行ったら信号変わるな。。と思って出ないでいたら、どうも時差式信号だったらしく。。
そうしょっちゅう通る道じゃないからねぇ。。
トラックが右折して初めて見えた信号はまだ青でした。後ろの車にクラクション鳴らされた。
しょうがないじゃん。。トラックの真後ろは見えないの。
広い幹線道路ならトラックの真後ろは回避するんだけどね。
対面一車線は逃げようがありません。



タイトルにした割に申し訳程度に取って付けたような本題でした。





これから何して遊ぼ~。