2012年12月29日土曜日

だからトラックの後ろはイヤなのよ。。

怪我する前に大掃除は済ませてたので、年末でも特に何もするコトがなく非常に暇です。
なので、更新します。

諸事情ありまして捻挫した時の記事は取り下げさせて頂きました。
でもコメント頂いているので削除はしてません。
固定もまだ取れてません。


大掃除した時に、まだなんか足らん。。あ、2013年のカレンダーを買ってこなきゃなぁ。。ま、後でいいか。。。の内に怪我して、行くのがどんどんめんどく大変になっていましたが、さっきやっと行って来ました。

足は、一週間経ってちょっと腫れは引いてきたけど、まだ内出血が酷い。
整形外科の先生からは、「内外の踝の周りにある靭帯を痛めてるからね~。押して痛みがなくなるまでは固定を外せないんでよろしく。」と言われてます。
左足をこたつの外に投げ出してるともれなく寒くて我慢出来ず、かと言って温まると痛み出すのをどうしてくれようかと考えた挙句、こたつで温まって来たら足を投げ出し、寒くなったらこたつに投入という落としどころを見つけました。
こんなのがいつまで続くんだ。



カレンダーを買いに行くミッションもあるけど、とにかくどうせ暇なので、本屋に行って来ました。
前橋のブックマンズアカデミー。

本とカレンダーとついでに手帳も物色してウロウロした後、店内に併設されてるカフェで地元誌ライフを眺めてカプチーノをすすってボーっと。。温泉行きたいなぁ。。。ビローンo<´・ω・`>o

本はこれ買った。↓

また宮部みゆきの時代小説です。
「ソロモンの偽証」って新刊が出てたけど、三部作だし。。ハードカバーだし。。文庫が出たら大人買いします。
年末年始は読書か溜まってる録画を観るかして過ごします。
テレビは観るものなさそうだし、映画とか気になる番組は録画して後で観るし。。
ん??
今年(つーか、来年?)は忠臣蔵じゃなくて白虎隊なのか。
忠臣蔵が良かったなぁ。。まぁ。。観るけど。
今でこそ海外でも「武士道」に興味を持つ人結構多いでしょ。
その「武士道」がどんなもんか一番分かり易いのが忠臣蔵だと思うんだよね。
四十七士の皆さん、本当はもしかしたら討ち入る必要なかったかも知れないんだよ。
松の廊下での殿中抜刀の原因は諸説(浅野内匠頭が吉良上野介に対しての付届けをケチったから意地悪されたとか、浅野が乱心してたらしいとか他にも色々)あるけど、どうして討ち入らなきゃいけなくなったかというと、桂昌院や柳沢吉保に踊らされてた綱吉がロクに調べもせずに、怒りに任せて浅野にだけ即日切腹、しかも預け先の田村邸の座敷内じゃなくて庭先で切腹させちゃったからなんです。
(たとえ外様でも大名の切腹は座敷内で行われるものであり、庭先でというのはもっと位の低い武士の場合だった為。田村邸では出来るだけ庭先に見えないように囲いを立ててみたり、かなり気を遣ったらしいけど。)

殿中抜刀はそれだけで大罪と言われてた時代ですから、いずれにしても切腹や改易(家禄召し上げとか御家御取り潰しとか)は免れなかったかも知れませんが、せめて喧嘩両成敗、或いは浅野が乱心していたという事になれば。。それに浅野が吉良を討ち果たしていれば、赤穂藩の家臣達は吉良に対する主君の、そもそもあったかどうか分からない遺恨を晴らす為の討ち入りなんて考える必要はなかったんです。
幕府も「討つならどうぞ」と言わんばかりに吉良邸を本所に屋敷替えさせちゃったから、討ち入り易くもなったようですが。。

レミゼのOne day moreって、討ち入り前日にもそんな感じかと思ったけど、考えてみるとレミゼの革命派の学生達は戦って(勝ち目はともかく)勝てば自由、負ければ死。
でも赤穂の四十七士は勝っても負けても死しか待ってない。
「武士道」ってそういうものなんだよね。。


と、暇に任せてノリノリで激しく脱線しましたが(楽しかった♪)、なんだっけ?


ああ、本屋の帰り道、私の車の前にトラックが立ちはだかりました。
トラックの真後ろに付いちゃうと、前方の情報がな~んにも入って来ない。
小さい交差点を右折しようと待ってたら、歩行者用の信号が赤になったのが見えたので、これは前のトラックが行ったら信号変わるな。。と思って出ないでいたら、どうも時差式信号だったらしく。。
そうしょっちゅう通る道じゃないからねぇ。。
トラックが右折して初めて見えた信号はまだ青でした。後ろの車にクラクション鳴らされた。
しょうがないじゃん。。トラックの真後ろは見えないの。
広い幹線道路ならトラックの真後ろは回避するんだけどね。
対面一車線は逃げようがありません。



タイトルにした割に申し訳程度に取って付けたような本題でした。





これから何して遊ぼ~。









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