2015年9月6日日曜日

父の命日、三年

あの時から三年間、気持ちは落ち着いても、空白感は変わらない。

今までは土日のどちらかで、法事もあったから特に気にしてなかったけど、今年は明日、月曜日なのだけれど。。

仕事をしていた方がむしろ、紛れるだろうか。
時計を見るのが辛い、明日だけは。
午後半休してお墓参りに行こうかとも思っていたけど。
今、非常に忙しく、割と大変な状況にある中で、仕事を休んで墓参りに行ったら、多分父は。


。。怒るだろうな。


仕事人間だったし、何せ亡くなる二週間前まで働いてた人だから。

だから今日、一日早いけど、お墓参りに行って来ました。
実家へは敢えて報せなかった。
私が今日、お墓参りに行くことを。

一人で報告したいこともあった。

まだ何かが始まった訳ではないけど、何かが変わるかも知れないような気がしているから。
それが私にとって良いのかそうではないのか、私自身が見極められるように。



昨年もここで命日について書いたけど、本当に全く父を感じたことがない。
父が他界してすぐ、どこで聞きつけたのか、とある新興宗教のチラシが入っていた。

亡くなった人ともう一度会いたくありませんか?と。

人の傷に塩を擦り込むつもりか。
と、思った。

そういう類の物語やドラマは多々あるけれど、ああいうことはない方がいい。
今考えるだけでもそんな非現実的な、そしていずれにせよ、もう一度同じ別れを繰り返さなければいけないことが、目の前にぶら下がっているのが分かっているのに、それでももう一度会いたいと思わない訳ではないけど、その隙に付け込むような輩がいるのが腹立たしかった。

会いたくない訳じゃないけど、それは一過性、他界する前に戻せる訳じゃない。
父が最後に何を言おうとしたのかについては、いずれ分かる時が来るだろうと思っている。







明日は、父の三回目の命日だ。




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