禍福は糾える縄の如し。はホントのことで、小さな禍福は結構繰り返してるもんだな。。などと身に沁みて感じる昨今であります。
こんなことを繰り返しながら、一見善さそうな事も悪そうな事も裏返ったり表に戻ったりしてみながら時間と共に過ぎていくんだろうと。
それに、同じところに留まることは絶対になく。
常に変化しながら、行き着くところへ向かうんだろうと。
そこがどこなのかは、誰も知らないにしても。
そこがどこなのかは、誰も知らないにしても。
自分の好みとか感情とかでさえ、コロコロ変わってるもんだし。
そんな感じで日々コロコロ変わる色んなことの中で、変わらないものも欲しい。
自分の軸。価値観、アイデンティティ。信念。プライド。なんだっていい。
これって思えるものがあるのかどうかで随分変わる。
それも少しずつ変わっていく。
ある程度出来上がってくると、根っこのところは動かなくなるような気がする。
若い頃は吸収する事に傾倒していた。
吸収を続けながら、経験を経て要不要を仕分ける作業の三十代前半から半ば。
今は削ぎ落とす作業が始まっている。
要らないものはどんどん捨てる。
すると。
人のものさしで自分を計ろうとする試みを止めることにした。
それでもやっちゃうだろうけど。
人がどうあろうと、バカボンのパパよろしく「これでいいのだ」と思うならそれでいいはずだから。
考えてみれば、ものすごい哲学のアニメだよね。
「これでいいのだ」って、それだけの裏付けがないと胸張って言えない。
「これでいいのか?」って考えるのが人情ってもんだし。
「これでいいのだ」って決める。
決めるには、自分のものさしを本当に持ってないと難しい。
人のものさしで「これでいいのだ」って言える人っているのかな。
これ以上無理ってところまで、考える。
どれだけ考えても、その結論は同じところにしか辿り着かないってところまで、考える。
悩む。
落ち込んで、苦しんで、辛い思いをいっぱいする。
そんで疲れたら、休めばいい。
無駄なことは一つもない。
他人の価値観に振り回されない。
そういうことを気にする人というのは多分、自分の考えに自信が持てなくて、色んな人に相談して聞いてもらって客観的には自分の考えがどうなのか、もう散々確かめてきたんでしょ。
不安はいくらでも確かめたらいい。
というか、たまに確認してみた方がいい。
こんな自分は間違っていないか?って。
その不安を外へ出しもせずに、一人で篭って考え込んで変な方向へ歪曲していくよりずっと健全。
強がってみたところで、脆いもんだから。
人の価値観は人の数だけあることだけを、ちゃんと分かっていさえすれば。
自分が人からどう思われているかでいっぱいなのと同じように、他人も自分以外の人からどう思われているのかでいっぱいです。
それでも考えたり悩んだりするから人の脳は進化していく。
疲れていても、何もしなかった気がしても、一日過ごしたらその分ちゃんとマシになってる。
そんな自分を迎え入れてやれるのもまた自分しかいない。
でももし、自分を想うのと同じように想える相手がいて、お互いに迎え入れ合えたらそれだけで最高に幸せだよね。
そんな相手、いるでしょ。
周りを見渡せば何も、結婚した相手や恋愛の相手だけがそうとは限らない。
自分から見てどんな立場の人かは分からない。
でも、見てる人はちゃんといるんだよ。
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