2013年11月3日日曜日

深き淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し。

深淵に臨みて堕ちざるように、薄氷を踏みて陥らざるように。



禅海一瀾講話より。



「薄氷(うすごおり)」という言葉。
江戸時代、「薄氷」は十一月の季語だった。
現在では「うすらい」と読んで二月の季語になっている。
それでも私の中では「うすごおり」であり、十一月になると思い出す。


「深き淵―、薄氷を踏みて―」はそのまま、極めて危険な状態を指す。
幾度となく深淵を慎重に廻り、薄い氷の上を避けながら生きてきた。



望むと望まざるとに関わらず、時に気付くとそんな場所に立たされている時がある。
いつだって薄い氷の上は避けてるつもりなのに。


この言葉は、本来はビクビクしながら歩くという意味じゃない。
それも覚悟するという意味らしい。


見渡せば、本当に深い淵に堕ちたような、薄い氷を踏み抜いたような人は割と身近にいる。
色んなことが起こるけど、仮に住所不定になっても気の持ち様一つで堕ちたことにはならないような気がしてやまない。

どうなることが堕ちることなんだろうとよく思う。


正解なんて多分ない。


人が本当に堕ちた時というのは前を向けなくなった時じゃないかと思っている。
上を見られなくなった時、本気で全部を捨てて腐った時じゃないか。


全部諦めた時に薄氷は割れる。


生きてても死んでるのと同じような。
ふて腐れて斜に構えているような。



だったら明るく前向きに浮浪者でもやってた方が余程いい。




薄氷。


危険を孕んだ意味もあるけど、薄い氷が張り始める水面を見ると冬が来るのを感じる。
昨今じゃ十一月くらいじゃ全然氷なんて張らないのが残念だけど。







もうすぐ、寒い季節がやってきます。




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