2014年12月27日土曜日

恋愛観

目下のところ、そびえ立つ程に大きな課題となっているような気がする標題であります。


さしたる目立った特徴もなく、ホメラレモセズ、クニモサレズ。
それでも世の中には男と女しか存在しないのであります。
独りで生きていくなんて、大きなことは言えない。
そう言い切れる程の自信がない。


今年の締めの前に、ちょっと触ってみたくなったこのテーマ。



今年の前半は、私もまだ恋愛らしきものをしていました。

らしきもの。
私にとっては、という意味でしかなかった。
相手にとっては全く別の物だった。


相手にとって、私はネギ背負ったカモだった。
そこまで考えたくはなかった。
でも最後に見た彼の姿は、勧誘に失敗した人のそれだった。

人の気持ちを利用したという認識はないんだろう。
悪気が無かったら何をしても良い訳ではないことや、それが相手にどれだけの影を落とすのかについては、自分達の目先の欲が先に立って、まるで気が付く様子はないようだったから、多分この先も同じことを繰り返していくんだろう。

それで自分の願望が叶って幸せになれると謳いながら。



あれから数ヶ月経った今になって、それまでの人生からしたら全然大した事のないその出来事が地味に効いているような気がした。

信頼出来ないんだよね。
誰のことも。
皆がそんな人に思えてしまう。
どうしても疑ってしまう。


そんな状況でどうにかなることもなく。
単に入り口付近で戸惑ったり躊躇ったりしている内に、気付けば扉は閉まっていた。
叩いてみたけど、開かなかった。
そもそも開いていたのかどうかも怪しいところではあるけれど。


確認してたんだよ。
もう若い頃のようにとりあえず付き合ってみる訳にはいかない。
自分だけじゃない、相手があることだから。

もし、自分に誰か他の出会いがあって揺れ動く程度のものだったら、それじゃいけない。
それなりに先のことも考えなきゃいけない年齢にも来ているし。
だから、それを確認してたんだよ。

そういう嫌な思いや辛い思いなら、たらふく知っている。
それを人にさせたいと思う程には、私もまだ人間が腐ってはいない。



随分前に、何かの記事で書いたことがあるかも知れないけど。

アンデルセンの有名な童話「人魚姫」。


どこぞのネズミーがハッピーエンドにしちゃったアレです。



アンデルセンはあの童話を通して失恋を描きました。
美人か不美人かだとか、その為人には関わりなく、失恋する時はするもの。
それを描いた話が「人魚姫」だと言われています。
人魚姫は可愛くて性格もいいという設定になっている。


嵐の夜に海で助けたある男性を好きになり、声と引き換えに足を手に入れて陸へ上がり、その男性を見つけてその恋を成就させようと頑張ります。
でもその男性は王子であって既に相手がいて、人魚姫は王子を殺すことでしか自分を救う道がなくなります。
王子を殺せない人魚姫は海の泡となり、人間のように天へ召されることもない。


そういうことだってある、というのがアンデルセンの表現したかったことであり、実在している現象でもある。

どんなに一途に献身的に相手を思って身を削ったとしても、それは自分がやりたかったこと。
人魚姫が王子を殺していたら、それは見返りを求めた打算になってしまう。
殺せていたら苦しむこともなく、海の泡になることもなかったろうけど。

人魚姫はただやりたいことをやりたいようにやった。
だから後悔することもなく自ら海へ身を投じた、というアンデルセンの言いたいことはここなんだと思っています。


そうでなきゃ、恋愛なんて何が楽しい。
うまくいけばそりゃ嬉しいだろうけど、うまくいこうがいかなかろうが、持ち合わせる全ての感情を引っ張り出されて苦しむように出来ている。
そうしてまた人間の脳は進化していく。


人の脳には忘却という機能が備わっていて、それが精神衛生を保っているんです。
起こった出来事がずっと「ついさっき起こった」ことのように感じていたら、人は精神を保てない。
仮にすぐ近くにいたとしても、大丈夫。
時間が経てばちゃんと忘れるから。


まだ微妙な距離だけど、そう遠くなく別件の事情で顔を合わせることすらなくなる。
気付けば思い出すことさえ、なくなるだろうか。



これも前に書いてると思うけど、人魚姫にはあまり知られていないラストがあります。
上述のあらすじは誰もが知ってる有名処。
その後があるんです。


身を削り、ただ一途に王子の元へ走って命を落とすことになった人魚姫を、神様は不憫に思い、まだ未熟な人間の魂が修行して年限が明ければ天へ召されるそこへ参加するよう計らいました。
300年間、子供達を見守り続けるというその修行の年限は、いい子を見つければ1年間短縮され、悪い子を見つければ1日延長というものでした。

そこに参加するまでが、童話「人魚姫」です。
いい子にしてないと、人魚姫は天国へ行けないんだよ、という、そこは童話なので。


失恋しても、別の形で再び機会は与えられるんです。
辛くても切ながっても、ずっとその中に居続けたらいけない。

その中にいるのはちょっとだけ気分がいいかも知れないけど、浸り続けていたら次の出会いがあっても気付かずに通り過ぎてしまうかも知れない。


だから、私は友達にも言います。
ずっとその中にいるな、と。






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