今日は父の命日。
そして一周忌の法要に行って来ました。
普通、法要は日曜日にするものだけど父の命日が今日なので、土曜日だけど親戚には前もって根回しして私の我侭を通させてもらいました。
あっという間にあれから一年…。
一年前の今日の夜、父は旅立ちました。
あの日からしばらくの間、毎日が精一杯で心も体も辛いのに悲しんでる暇もなくて。
色んなことが一度に押し寄せてきたような気がした。
この一年間で結局一度も父の気配を感じることさえなかった。
いつも見ていてくれてるはず。。と思ってはいるけど、実際父はどう思ってるんだろう。
実のところはそればかりがずっと、今も変わらず気になっている。
私は父を泣かせるばかりで、親孝行と言えることは何一つ出来なかった。
本当は後悔してることがいっぱいある。
父が亡くなる数ヶ月前、父の誕生日があった。
その日はたまたま父を食事に連れ出した。
父はいつも一緒に食事に行くと、私に自分の分さえ払わせない。
誕生日のその日、私は勝手に父の分も支払いをした。
その時、言ってしまった。
今日は誕生日でしょ。
誕生日おめでとうなんて照れ臭くて言えないから、それが精一杯だった。
父は一瞬だけ面映ゆいような嬉しそうな顔をした。
後々思ったことだけど、父の人生の中の因果応報の「果」の一つを出してしまった気がした。
あの時だってそんなことは言わずに、いつも通りの手の掛かる娘であり続けたら、せめて今年の誕生日も一緒に食事に行けただろうか。
父の人生の役目を一つでも残していたら、今も父は生きていただろうか。
あの時の父の顔を思い出す度、そんなことを考えてしまう。
でも父にとってはあのまま生き続けるのは体の痛みに苦しむばかりかも知れない。
苦しい思いをしていて欲しいとは思えない。
結局どんなことをしても、何某かの後悔をせずにはいられない。
だから最期の時には「ごめんね」の代わりに「ありがとう」を言いました。
他には何も思えなかった。
たぶん父は向こうの世界でのんびり過ごしている。
少なくとも私はそれを祈っている。
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