2014年12月14日日曜日

この寒空の下、世間はクリスマスで溢れかえっているこの時期に、何が悲しくて梅なんだと思うかも知れませんが。


まぁ、いつも通りの感じで聞いてやってください。



大袈裟に人生を持ち出さなくても、大体毎年同じようなことが繰り返されています。
直線を歩いているつもりが、円を描いて歩いている。

その途中にあることは大体毎年あることのような。


不思議なことに、それでも世界はどんどん変わっていきます。
人もまた然り。
何かだけは未来永劫ずっと変わらないなどというのはあり得ない。



私のあまり好きじゃない言葉の中に、「登り坂、下り坂、まさか」というのがあります。
結婚式や卒業式なんかの祝辞を述べる訳知り顔のオッサンが言う、あれです。

何で好きじゃないかって、それまでの人生の機微を教えるべくは親であって、身を以て学んでいくかどうかは本人次第だから。
祝辞は前途を祝せばいい。
ただ心から言祝げばいい。
そういう席で殆ど他人の主賓が無責任に諌める必要はない。



「まさか」。


どれくらい「まさか」と向き合ってきたか。
「まさか」というのは、いきなりやってくる。


いきなりやってくるから、鉢合わせてしまう。
いきなり、正面切ってやってくるからね。


そういう「まさか」も大小はあるんだろうけど、乗り越えるのか、やり過ごすのか、避けるのか、跳ね飛ばすのか、人によっても時々によっても違う。


問題なのは、それに対して言い訳をしたり責任転嫁してみたりすること。
認めなかったらその人は何一つ変われない。


「まさか」の時点ではただ起こっただけ。
起こったそれに何だかんだと評価をつけるから、自分の心の中は勝手にややこしくなっていく。
傷つくというなら、私も含めて勝手に傷ついている。
誰かに傷つけられたのでも、起こった出来事に傷つけられた訳でもない。
自分だけが自分を傷つける。


分かってても難しいけどね。


傷ついて、そんな気分になってる時は目一杯浸って酔って、気が済んだらどうせコロッと忘れて懲りもせずにやってくんだから、それはそれで楽しんじゃったらいいのかも知れない。



そんな中で。



まだ真冬の真っ只中にいる。
来そうに感じた春は偽物だったし、手を伸ばそうとしたら叩かれちゃうし。


何で梅かって、ここで出てくる。


「まさか」ならたくさん乗り切ってきた。
何度となく寒中に花を咲かせてもきた。


まだ出来ていない準備もあるだろう。
そこから先にもまだ色んなことが起こるだろう。


梅は真冬の間も花を咲かせる準備をしている。
枝ばかりのその間も梅は梅。


そうして毎年寒い冬を越えて一番最初に梅は咲く。






梅一輪 一輪ほどの 暖かさ   服部嵐雪




咲き誇り、花の香りがして、必ず実を結ぶ。
結果がどうあっても、それと向き合って、受け止めて、そうだと言って引き受ける。
梅の花のようにただ生きて、何度でも花を咲かせて、実を結んでみせる。







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