昨年新しくなったお墓には祖父母やその前のご先祖も皆入ってるけど、今の時点で遺骨が収まっているのは父と祖母。
三十三回忌が済んでいるお骨は土に還しました。
今月11日には震災から丸二年。
父が亡くなってから半年を少し過ぎました。
父は病気だったから、亡くなってから納骨までの全部を見届けれられました。
だから思います。
震災の被害に遭った人達の、短い時間であっという間にご家族をもぎ取られてしまった心労は如何ばかりか。
今でも行方不明のままで、遺体を確認出来ないまま葬儀を出すのがどれだけ複雑な心境か。
頭で理解はしても、諦めきれない。
見つかっても、身元が分からず帰る場所のない遺体。
もしそれが自分の家族だったらと思うと、言葉になりません。
あれから二年。
東北の復興をお祈りするとともに、亡くなった方々のご冥福をお祈りし、改めて御見舞申し上げます。
今週みたいに風邪を引いたり、ヘコんだりすると観る映画があります。
2008年公開の映画、「西の魔女が死んだ」。
おはあちゃん(サチ・パーカー)と孫娘まい(高橋真悠)が、おばあちゃんが一人暮らしをしている自然に囲まれた家で、ひと月程の時間を二人でご飯を作ったり掃除や庭仕事をしながら過ごす時間をメインに描かれています。
物語の中で問題になってくる部分は、ホントにとても些細な事です。
大人になるまでの間に体得してきたような「気がする」出来事です。
原作は子供達に向けた本ですが、大人の目で見ても感じる点があります。
口に出して言わないだけで、本当はどこかで引っ掛かってるのに、忘れるまで無かった事にしてるだけかも知れない。
本当は疑ってみたり、嫌ってみたり、そんな事を繰り返しているのに、それには蓋をする事を覚えただけで、気分は晴れないような。
この映画の「おばあちゃん」は、そんな晴れない気分の処し方を示してくれる存在です。
年を重ねて年季を積んで、色々知ってるおばあちゃんも一人の人間なんだなぁ。。と思う場面あり、かつては自分も「まい」だったと思う場面あり、その捉え方如何で、自分も無駄に年を食ってきてもないかぁ。。と思ったりします。
「おばあちゃん」と「まい」の中間辺り(嘘吐きました。。若干おばあちゃん側に近付きつつあるかも)に位置する私としては、どちらの心情も分かるようになってきた気がするというか。
タイトルの通り、おばあちゃんは亡くなります。
一緒に過ごす間に、まいはおばあちゃんに普遍的な質問をします。
「人は、死んだらどうなるの?」
父が亡くなるまであまり考える事のなかったテーマです。
父が他界した時に初めて真剣に考えました。
いや。。そんな漠然とした事よりも、多少鈍くさいところも持ち合わせていた父なので、ちゃんと行くところに行けてるのか?!とか、そっちの心配ですが。
おばあちゃんはその質問に身を以て答えてくれます。
前は、自分の最期なんて誰にも見られたくないって思ってました。
でもね、その瞬間完全に一人だったらものすごく怖い。。たとえその時死ぬのが自分だけでも。。と、父を見て思いました。
少子高齢化が問題視されてきている昨今、男性も女性も仕事をしていたら生きてはいけるけど、それを支え合える家族ありきの自分であり、守る人がいて初めて発揮する自分もあり。
「無条件に愛してくれる人」「無条件に愛せる人」そういう人がいる事に気付けている人生は幸せだと思います。
人生の最期は「面白かった」って笑いたい。
>人生の最期は「面白かった」って笑いたい
返信削除これ、ポイントですよね。
私も自分なりの良い人生だった・・・と満足して死にたいなぁと常々思いながら生活しています。
なので、ついつい欲望のままに旅に出てしまうんですが^^;
生まれた時の記憶はないけれど、もしかしたら死の瞬間には意識があるかもしれない・・・と、ふと考えるんですが、その死の瞬間がどんなものか非常に興味があります。
そんな訳で、死という瞬間を楽しみにしている変わり者のChloeだったりします^^
楽しみにしている死の瞬間が充実した時間であるよう、今を後悔なく行きたいな☆とも思っていたりします^^;
(ほんと、変な奴ですみません)
そう、「最期に笑ってやる」って思ってます(笑)
削除皆それぞれ良い人生を送りたいですよね。
どの瞬間で切り取っても「面白かった」って思えるのが理想です。
どんな死に方をしても。
欲望のままに旅に出る。。いいじゃないですか~。
やりたい事やらないと、ホントに時間はあっという間ですしね。
死の瞬間は意識があるらしいですよ。
と、看護士さんが言ってました。
苦しい説、何も感じない説、ぐるぐる回るらしいとか諸説あるようですが、こればっかりは死んでみないと分かりません(^_^;)
変わってないと思いますよぉ。。
誰でも一度は考えるテーマですもん。